初めまして!そもそもまだ自分自身の名前決まって無いけど、とりあえず今回は「ワードプレス」でブログを書いてみたいなって思って検証とかも兼ねつつ、自己紹介とか書いていこうかなと思います!
自分でいうのはあれやけど、普通の人(?)というか普通が何かも知らへん俺がいうのもあれやけど周りの同年代の子らと比較したらかなり壮絶でぶっ飛んでる人生歩んでるから、少し暗い話も多いかもやけどいろんな視点から適当に読書感覚で見ていってほしいです!

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プロフィール
・生年月日 2007年4月16日
・出身 三重県
・身長 161cm
・学歴 現在高校3年生(全日→通信)
・趣味 自作PC、旅行、メイク
・家族構成 父、妹、犬
・障がい ADHD、境界性パーソナリティー障害、うつ病←(恐らく治った?)
・幼少期
・父子家庭 母親の自殺
・中学校時代
・高校時代
・精神病院への入院
・現在~これから
幼少期の頃の記憶
4月生まれやから幼少期は周りの子より体格に恵まれてたり親の遺伝で身体能力も親の遺伝で高かったからそのお陰で友達のグループ(?)的なものではある程度目立てていたから、昔はめっちゃ嫌いで自分から家出ていレベルやったんやけど、今ではめっちゃ親には感謝してるし、なんならそれが良い意味でも悪い意味でも俺の今後の人生を大きく変える事になった。

両親は俺が6歳頃まで離婚してなかったんやけど、自分の記憶の中にある両親っていうのは刃物を向け合ってお互いを罵り合って定期的に母親が実家に帰っては育児の関係もあって親父がまた説得して連れ戻してまた大喧嘩というか、もう半分殺し合いみたいなのが幼い俺と妹の前で毎日のように繰り広げられてた。
ほんで俺が小1になることくらいにはいつの間にか離婚してた。比較的ヒステリーだった母親がいなくなって「これで少しは平和になるんか?」とか思ってたら、
NO! NO! NO! ホンマの地獄はここからやったって話をしていく。
父子家庭になる。一方自分の知らない所で自殺していた母親
俺はこの事実を知ったのは今年の春頃なんやけど、自分自身の母親がまさか自殺していたなんてっていう気持ちもあるし、なんも知らんままこの18年生きてきてたから、知った当時は涙と衝撃が止まらなかったを覚えてる。
それで父子家庭になってからなんやけど、離婚する前に介護施設の会社を立ち上げたんやけど、始めたての頃はあんま上手くいってなかったのか、毎日のようにアサヒのスタイルフリーを飲んで育児放棄されてた。 (多分これ↓)

当時のルーティンなんやけど、朝7時に起きて学校行ってその間は平和やし、当時の俺にとって唯一の救いだったのが給食っていうご飯が食べれる事だった。
(当然やけど、育児放棄されてるわけやから家にいてもご飯が出てくることなんてない。)
学校終わってそっから塾に行って帰るんやけど、こっからがホンマに地獄やねん親父が帰ってくるまでにまず炊飯器で米炊いて、洗濯物を畳んで親父の弁当を食卓に準備して、明日の学校の準備もそれと同時に終わらせる。ほんでアル中親父が18時くらいに帰ってくるんやけど、ゴミとかなにかを出しっぱなしにしてたり家事を一つでもやってなかったら罵声浴びせられる毎日だった。けど当時は生きるのに必死で今みたいに精神病むとかはなかった。
小5~6年の間だけ祖父母の家に引き取られる
そんな生活が4年くらい続いたある日、親父が急に俺らの部屋の荷物を車に詰めだして、祖父母の家に車で俺らを置いて逃げてった。
その後祖父母が親父に電話かけまくったりなんなりでまた来させたんやけど、今でも忘れへんのが号泣しながら祖父母に子供をもう育てきれへんって、あの普段怖い大人がこんな子供みたいに泣くんやって思った。両親に愛してもらえずに無関心で育ってきた自分はそんな親父を見た時、初めて子が親を頼るってこんな感じなんやみたいな気持ちになってた。
今考えたら最低な親父ではあるけど、子供二人を会社を経営しながら育てるって思うと自分でもキツいし、世の中ではそういうのが原因で何人も虐待で亡くなったりしてる子がいてるんやから何気にその時点で自分に育児能力が無いって判断して祖父母を頼った親父は俺は偉いと思う。
祖父母の家で楽園のような2年間
置いてかれてから中一(厳密には小6の終わり頃)まで祖父母の家でお世話になってたんやけど、もう当時の自分からしたらすんごい楽園やった。だってなにもしなくても誰かがご飯を作ってくれて、学校に登校する時に「いってらっしゃい」と帰ったら「ただいま」って言われるんよ。
俺は祖父母から愛情的なものをめっちゃ教わったと思う。
それと親父と離れてからしばらくは会ったりしてなかったんやけど、数か月後になんかあんまり記憶ないけど普通に話せるくらいには仲治ってた。ちょうどその機会で小5の夏に親父がDELLの17インチのノートパソコンくれたんやけど、そっからどんどんパソコン沼にハマっていって、俺が自作PCとかにハマっていく人生の転機やった。

人間って楽しいとすぐ時間過ぎ去るように感じるみたいで、この時期の頃は記憶にはあるけどかなり断片的なものばっかり。
ただもう一個クソどうでもいいけどめちゃくちゃ明確に覚えてる事があって、当時栄養失調で伸びなかった背がいきなり1年で背の順前から2~3番?くらいで中の下くらいの身長やったのが、小6までに20cmちょっとくらい伸びて背の順後ろから3番目とかになったっていうのが衝撃的で覚えてる。毎日起きるたびに視線高くなってるの感じてた。ちなみに生まれた体重は3100gくらいで平均かちょっと大きいくらいやから、ホンマに幼少期に飯食わせへんかったらちっさくなるっぽい。
中学校 (思春期?)
小学校卒業してそのタイミングで親父の家に戻った。もう13歳やから自炊も学んでてある程度自分で生活できるようになってたからほぼ家庭内別居?みたいな感じで実家にまた戻って来た。これ自体は別になんもストレスじゃなかった。 そう、問題は俺の持ってる障害が思春期で起爆してしまうことにあったみたい。
当時はまだ診断はされてなかったんやけど、「境界性パーソナリティー障害」っていうなんかヤバそうやけど、まぁ簡単に言うと【感情が不安定で、行動が極端に揺れる精神疾患】らしい。
恐らく、これが原因で今までの家庭環境の事とかに疑問を持ち始めて、
中一の夏の終わり頃に衝動的に『リストカット』をしてしまった。

学校で担任の先生にバレて、その日帰りの時間に親父が迎えに来て面会室みたいなとこで担任の先生から説明あった後に二人きりにされてんけど、まぁあああ俺なんも言えへんよなぁ。。。だって勝手に思春期拗らせて病んでるんやから。ただなんでか知らんのやけど、親父が泣いてたんよ俺の横で絶対忘れへんし衝撃的やぅた。放任主義家庭やったから子供が傷ついた時に涙を流して謝っている姿は俺もなんかよく分からん感情が溢れ出してメチャクチャ泣いてた。
まだこの頃はODなんて概念も知らへんかったけど、いきなり中学生になった頃からずっっっと毎日のように「なんで生きてるんやろ」「両親に愛されたかった」この思いが学校に居てる時でもずっとあった。深夜に毎晩泣いてたんやけど、今考えたら思春期の頃にこんな家庭環境で育ってきてそりゃまともに育つわけねぇよなって思う。この病気って、遺伝的なものもあるんやけど、幼少期の環境要因(虐待、ネグレクトなど)とかもあるらしいんやけど、完全に当てはまってるからなるべくしてなったって感じなんやと思う。
高校【陸上との出会いと失恋で壊れた自分】
高校生から俺は親父が高所得っていうのもあったんやけど、高校が遠かったのもあって学校行くための駅の近くのアパート契約してもらって、晴れて15歳で一人暮らし始めた。
高校入ってからというもの中学の頃は不登校気味だった自分が見る影もないレベルでガンガンみんなに話しかけてた。実は高校に入る前から心の中で決意していた事があった。それは陸上部に入って
100mを10秒台で走りたいっていうアホみたいやけどガチやったし、部活紹介始まる前から陸部の先輩に頼み込んで入学して2日後とかそれくらいにはもう当時の陸部の先輩達と練習してた。
3年の先輩らしかおらんくて、6月の高校総体以降は引退して俺だけになった。2ヵ月だけやったけど俺的にあの先輩達がおらんかったら退学するまで俺は続けられてなかった思うし、いい意味でも悪い意味でも人の何倍も感情的やから、先輩達と10秒台とるって約束したから死ぬ気で毎日限られた狭い練習環境で毎日練習してた。
毎日部員は俺だけで一人でハードル並べたりとか家でもずっと筋トレしたり食事もめちゃくちゃこだわったりホント部活のためだけに当時は生きてるといっても過言ではないくらい。

結果、4月はタイマーで測定して13秒くらいやったのが、8月と11月の記録会で11.98と11.95を記録した。中学校ひきこもってた人間にしては結構頑張った方やと思う。
ただ、疲労蓄積しすぎてたのか秋くらいに怪我をしてあんまり冬季練習できなかったから、春が迫ってくると同時に、毎日のように理由もなく「焦燥感」にかられるようになってその日からホントは動いたらアカンかったんやけど、テーピンググルグル巻きにして筋トレと坂ダッシュしまくってた。2年制になって、最終的に自己ベストの高校退学する直前に出たタイムは11.49やった。
ただ、こっから劇的に自分の人生を変える出来事がこの後起きた。
彼女できた(自分がメンヘラってことも気づいた)
実はちょうどこの時期に同じ中学校で同じクラスの女子の子が一人たまたまおって、その子とみんなで毎日夜に当時流行ってた原神ってゲームしたりしてたんやけど、ある日なにをとち狂ったんかその子に「好きな人おらへんのー?」ってずぼらアホな俺は純粋無垢な気持ちで聞いたんやけど、
「オマエ」って個人のLINEで送られてきた。俺はもう当時なにかの間違いかと思ったね、、
もちろんちゃんと返答しました。「今日も月が綺麗ですね」って言うた。
だいぶ俺って頭の中お花畑なんやと思う。普通さ、え、もっと他にマシな返答あらへん?もっとまともな返答あったやろボケ!って自分に言いたいけどなんでかこういう時に限ってふざけてしまう性格、もおおちろんちゃんとお付き合いしまいした!
背が高くてウルフカットで声が低めやけど結構乙女なところあるっていう子やったんやけど、俺実はここまででまともと呼べる恋愛をしてきたことがない、というか自分が好きって思える人と出会った事が無かったんやと思う。人生で初めて心の底から好きって思える人に出会った。
人生で凄い重要な人物やったとは思うけど、【境界性パーソナリティー障害】の特徴ってさもう
メンヘラそのものなわけよ。
1年くらい付き合ってたある日、修学旅行の3日前?くらいに彼女に別れよって言われてもう俺の中でなんか欠片?と言うかパーツが外れた音がした。
もうその翌日から学校に行く元気も食べる元気もなくなって、気づいたらキッチンにおいていた椅子に座ってスマホを眺めてたら1週間過ぎてた。←(よく考えたらこれ鬱病やんね)
家族にも誰にも今まで愛される事も、愛す事も知らなかった自分にそれを教えてくれたのがその人やったから別れよって言われた日から今もやけど、なんか前みたいに上手く人を信用できない。
障害のせいなんだろうけど、今後の人生でこの感情と付き合っていくのだいぶキツイけど「これもまた人生経験なんかな」って、2年経ってやっと今では思い出と経験として心の中にしまってる。
退学・編入と非行
失恋の傷を埋めるかのように当時同じ高校にいた俗にいう非行少年って言われる友達と一緒に喫煙・飲酒をしてたりパチ屋入ってみたり、毎日なんの生産性もない毎日を過ごしてたんやけど、流石に中卒やけど働かなマズいなって思って求人サイト見たらびっくりよ。全部高卒以上やし、バイトは学歴不問のところ行っても、そもそも中卒=常識欠けてる みたいな認識やから流石にヤバない?って思って通信制の高校に編入届を出して合格してまた再び『高校生』という名誉を取り戻せた。このお陰か分からんけど、その後にダイソーのバイト受かったんやけど、バイト初日にOD(オーバードーズ)してて飛びました。本当に申し訳ないです。流石に今考えたら呆れるけど、ODしてバイト行ってた方がお客さんとか巻き込んで大迷惑かけてやろうから、でも反省はホンマにしてます。

OD・リストカット →「鬱病」と診断され入院
入院するまで実はさっきも言った通り毎日のようにOD(オーバードーズ)とリストカットを繰り返してて、ある日心に限界が来たのか、親父に「助けて」みたいなLINE送ってからちょっとして親父が自分の部屋の前までわざわざ来てくれて、夜やったから病院空いて無くて「オンライン診療」っていうやつ受けたんやけど、明らかに俺顔死んでて喋る気力もなくてずっと俯いてて明らかに重度鬱病やんけ!!って誰が見ても分かる状態やのに「今の状態ではわかりません様子見ましょう」とかぬかして抗うつ剤と眠剤が郵送されてんけど、ちょうどその翌日に精神病院の予約とれて、
「さぁ、いざゆかん!!」って感じで、まぁ実際はそんな元気なかったんやけど、受診して速攻で入院が決まった。【医療保護入院】っていう自傷・他害の恐れがある半分強制的みたいな感じで
入院させられたんやけど、暴れへんし俺その先生と仲良かったからかホンマはしばらく保護室っていう所で一人で監禁されるらしいんやけど、俺はもう初日からその辺の患者さんと同じように歩き回れたから、なんか知らんけど鬱ぶっ飛んでこれはここでしか経験できやん人生経験ができるって思った。めっっちゃ初日からいろんな患者さんに話しかけまくった。
入院してからの日々
覚醒剤の禁断症状で入院しとるおっちゃんやったり、親父のことぶん殴った統合失調症の30代のお姉さんとか、他にも鬱病で入院してきた年下の男の子いたんやけど、謎に鬱が当日に吹っ飛んでしまってあんまりよくないというかハラスメントみたいやけど、夜中まで一緒に筋トレしたりというか半分強制的にさせてたり、なんか段々みんな目の色変わっていったし、筋トレすげええって思った。何度か看護師さんに激しい運動はダメって怒られはしたけどみんなで笑ってて楽しかったからヨシって感じ。
俺ホンマは【医療保護】やから「3ヵ月は絶対入院しないとダメですよ」みたいな感じらしいんよ。けど状態回復の速度が頭おかしいくらい早かったからマジ最初の2週間とかで【任意入院】っていう「自主的に入院する代わりに自由とか開放的処置を保証します」みたいな形態なんやけど、そっちに変わった。 これで俺完全に外まで出れるようになったから、毎日陸上時代の頃思い出して走って筋トレしてた。
ただ、こっからが問題だった。俺が前住んでたアパートは既に親父が解約していて、成人済みの俺は実質ホームレス状態で退院できるけどできないみたいな状態が1ヵ月続いた。
グループホームへの入居が決まった
色々早すぎて親父も3ヵ月時間に余裕あると思ってたみたいで、でももう1ヵ月で退院できますってなっててめちゃくちゃ焦ってた。実はこの時からすでにグループホームを探してたんやけど、なかなか見つからんかったみたい。本来みんな実家に帰るけど、俺の家庭はもう完全にそれぞれが別居するっていう方針やけど、かといって俺の障害を野放しにしてるとまた鬱になるからグループホームにいれようってなったみたい。
2ヵ月したある日やっと入れる所が見つかって、10日くらい体験利用をしてクソスムーズに退院した。
~現在~
そんで今になるわけなんやけど、退院時に伝えられた障害と薬と共に何とも言えないなにもない日々を送ってる。けど18年しか生きてきてないし、まだ高校生で社会にも出た事ないけど、飯食えて寝る場所あってネットとパソコンあれば俺は幸せとは言えなくとも不満のない生活ができるんだなーって改めて実感した。
編入で単位足りやんから高校卒業するのが来年の秋になるんやけど、卒業したら施設出て都心で就職して一人暮らしする予定です。
これから
これからブログ記事で自分の飲んでる薬で感じてる効果とか、おすすめのサプリメント、美容系だったりメンズメイクとかガジェット系の周辺機器とか買ったら日常の一部みたいな感じで紹介したいなって思います。ここまで見てくれて皆様、ありがとうございます。

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